こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
昨日は「【100%の愛】以外は愛じゃねー!!」みたいなことを書いたので、ちょっとストイックな感じになってしまいましたね笑。(参照:ついつい尽くしすぎてしまうアナタ、それって誰の為ですか?)
前回お話したのはあくまで愛の【理想】であり【定義】なので、現実は違います。
そう、そして今日はその現実のお話です。
愛を実践しようとすると、時に苦しみや痛みを伴うこともあるんですね。「心を鬼にして厳しいこと言うわ」とか「アナタの為を思うからこそ今は助けない」という場合がこれにあたると思います。
よくスピリチュアルで愛の話になった時には「子どもが転んだ時に、毎回手を差し伸べることが必ずしも愛情とは限らない」ってのが引き合いに出されますが、これ全く以ってその通りですよね。
だから愛を実践するのってムチャクチャ難しいんです!僕も時にこれで頭を抱えちゃいます。笑
ほら、僕ら人間ですからね。神様じゃあるまいし。感情がありますから。100%とか無償の愛とかそういう境地に辿り着くってなかなか難しいじゃないですか。悟り開いてるわけじゃないし。笑
最初は物凄く抵抗あったけど、それでもたとえ10%でもその中に「幸せになってほしい」って思いがあれば、愛って言っちゃっても良いのかなって個人的には思うようになりました。
ほらほら、リンゴ果汁100%のジュースだろうが、リンゴ果汁20%の清涼飲料水だろうがリンゴが使われてることには変わりないじゃないですか。それと一緒です。(参照:【恋】と【愛】の違いをお教えします!~現実編~)
無理矢理100%の愛を実践しようとしたら、魂の質(霊格)は上がりますけど心が壊れます。
参照:スピリチュアル的には「感情に従う」or「理性に従う」どっちが大切なのか?
参照:実年齢からは測れない魂の年齢があるということをご存知ですか?
だって、あなたにだってあなたの都合がある訳だし、嫌なことされたらやっぱり嫌じゃないですか?誰かの事を大切にしたいと思う反面、自分のことだって大切にされたいじゃないですか?だから例え10%だろうと5%だろうとそれでいいんだと思います。
その中で「今回は相手の幸せを優先した方が良いかな」と思ったら頑張ったら良いし、「今回はちょっと譲れない」って思うのならそんな自分を開き直って、そこまで頑張った自分を思い切り褒めてあげたら良い。
だから、もし誰かがあなたに何かしてくれた時も「えー?これだけ??」と言わず、もしそう思っても『この人なりに頑張ってくれたんだな』と思って「ありがとう」と言ってあげられたらステキですね♪
ではまた明日(^^)/