こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は【「スピリチュアル系のセッションでは報酬をいただくべきではない」と考えられていることを知りつつ、なぜ僕が報酬を設定するようになったのか?】というお話をしましたね。(参照:僕が「スピリチュアル系のセッションは報酬を得た方が良い」と考えるようになった出来事)
今回はもっと大きなくくりの話で、「人はお金や物質とどのように向き合ったらいいとスピリチュアルではと言われているのか」についてお話していこうと思います。
まず、大前提として本来のスピリチュアルでは「生きるのに必要最低限あれば良い」と謳われています。もし大金が手に入った、いっぱい稼いだとしても「困ってる人に施すために一時的に自分のところに来ているだけ」と考えます。
勿論、肉体を持って生きてる以上お金や物は絶対に必要不可欠ですから、お金を稼ぐことや物を持つこと自体を否定するのはナンセンスです。
ただ、金銭欲や物欲というのは、心を奪われ翻弄されやすい性質がありますし、お金を含め物質的に贅沢な暮らしというのは精神や肉体を蝕むとも言われています。
具体的な表現をすれば「世俗的なものに心を奪われ、物質的なものばかり追求してると、しっぺ返しが来るよ?」と謳われているのです。
例えば【食】。昨今の贅沢な欧米食の影響で大腸がんや胃がんが増えたといわれていますが、逆に野菜を中心で量もほどほどの「粗食」というのは物凄く健康的だとされています。
例えば【物】。沢山の物に溢れた生活は身動きが鈍くなりやすいですし、それだけ管理も大変になります。逆に物の少ない生活は風通りが良いので衛生的ですし、整理整頓もしやすいですから精神的にも良い。(参照:スピリチュアル的に「良い空間」ってどういうことを言うの?)
例えば【お金】。有り余るほどあって楽しいのは、恐らく最初の内だけでしょう。何でも手に入る生活に飽きてくると、人生に対するモチベーションは下がり、怠慢になりやすいとされています。その分質素な暮らしは「知恵」が培われ「真理」が見えやすいとされています。
特にお金はその性質上、どうしてもネガティブなエネルギーが籠りやすい。なので自分の生活を困窮させてまでする必要はないけど、「誰かの為」というポジティブかつキレイな動機で世に送り出した方が良いとされています。
考え方的には水やエネルギーと近いです。流しておけばキレイですが、留まると濁るのです。(参照:スピリチュアル的に気を付けた方が良い土地・環境ってどんなところ?)
これが本来謳われているスピリチュアル的金銭欲や物欲との関係で、理屈としてはこんな感じです。
僕は大金とか贅沢とかあんまり興味ないんだけど、人間ですからね。やっぱり多少の欲は…ねぇ?(ファッションや食べることに関しては特にかも笑)
常に自身の内側と向き合って、お金や物とうまく付き合っていきたいと思います。
ではまた明日(^^)/