こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
おさらいです。前回は【スピリチュアルでは仕事は【奉仕活動(愛の実践)を学ぶ場】として考えてる】【働かないと食べていけない=奉仕(愛)とは何かを半ば無理矢理考えざるを得ない】というお話をしましたね。(参照:【仕事】をスピリチュアルから見ると、奉仕活動(愛の実践)を学ぶ場所とされています【前編】)
前編ちょっと話がフワッとしすぎて伝わりにくかったと思うので、もうちょい具体的な例えで書きますね。
例えば、仕事をしてると「もっと作業効率良く出来ないか?」とか「もっと資料分かりやすくできないか?」みたいのを求められたりしますよね?
「もっと効率良く」ってのは「出来るだけコストを抑えて、出来るだけ成果を出しましょう」ってことですよね。これが叶えば会社的には儲けが増えるわけですから、たとえ嫌々であっても、あなたが考えてた時間や出した答えが結局は会社への奉仕(愛)になります。
「もっと分かりやすく」ってのは「このままだと読む人に伝わりにくいから、もっと相手の立場に立った優しい資料にしてよ」ってことです。「私はこのままで充分だと思うけど…」と思いながらも、考えた時間や出した答えが、結局は読む人への奉仕(愛)になるわけです。
誤解しないでいただきたいのは、別に会社の奴隷・社畜になれって言ってるわけじゃないです。出来ないことを出来ないと断ることや、時に適度に手を抜いて自身を労わることが、あなた自身や相手への奉仕(愛)にもなる訳です。(参照:ついつい尽くしすぎてしまうアナタ、それって誰の為ですか?)
「何でそこまでして奉仕とか愛を学ばなきゃいかんのだ」と思われるかもしれませんが、愛情深い人になっていくのが、人生や生まれ変わりの目的のひとつとスピリチュアルでは考えるので、そうやって学ばざるを得ない仕組みになってるわけですね。
職業に貴賤はありません。優劣もありません。役割が違うだけです。それに【需要がある】ということは【誰かの役に立ってる、誰かが求めてる】ってことです。
あとは業務に直接関係なくても「GWは長めに有給をとって家族を旅行に連れてこう」だったら「家族への奉仕(愛)」だし。「つらい仕事でも子供の為なら頑張れる」だったら「子供への奉仕(愛)」になりますよね。
余談ですが、スピリチュアルではこんなことも謡ってます。
「仕事って大変だよね。人格者ばかりならやる気出るし、自分のやったことが成果として目に見れば良いけど、必ずしもそうではないじゃん?でも生きてくためには食い扶持稼がないといけないからさ、仕方ないんだよね。ほんと大変だと思うよ。」って。
じゃあ次回は【スピリチュアルから見た仕事との付き合い方】をお話ししていきたいと思います。
それではまた明日(^^)/