こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は【この世界に理解者なんていねー!とヤサグレてた時に『青い鳥』という映画に救われました】というお話でした。
さて、ここ最近はなかなかネガティブな内容でお伝えしてきました。
これは「僕はこんなにツラい思いをしてきたんだよ!悲惨でしょ??慰めてくれます??」という自己憐憫・自己満足の為にUPした訳ではありません。
前回の記事を含め、僕は常に
「その記事が読んでくださってる方の”支え”や”学び”になりそうか?」
「読みやすく分かり易い言葉を使えているかどうか?」
をとても重要視していて、大概の記事は(お知らせの記事は別かな?)そういった思いを基準にしてアップしています。
何故、常にそんなこと意識してるのかというと
スピリチュアルで最も重要視するべきは心、つまり【動機】だと謳われているからです。
もっと具体的に言うと「その言動は【愛】に基づくものか?」ということです。
例えば一見、ストレートで辛辣な言葉だとしても「相手に幸せになって欲しい」という愛が根底にあったから
自分が嫌われ役になってでも、周りが言いにくいことを言ったのかもしれないし
相手の幸せを真に願うからこそ、涙を呑んで「ここで許しちゃダメだ」って突き放すこともあります。
もっというと、ガチガチのスピリチュアルでは「常に利他愛を実践しなさい」っていうお話が出てきます。
つまり「常に誰かの為にありなさい」っていうんです。
それって物凄く尊いことだけど、四六時中そんなのってムチャクチャ難しいじゃないですか??
相手の為ばかり考えてると「私の人生なのにー!」って心が拗ねてくるだろうし、現実生活だってままならなくなるじゃないですか?
だから時々自分を労わるとか、自分を甘やかすってのも凄く大切だと思うんですよね。
それが甘えかどうか、ただのワガママかどうかなんて基本他人には判断出来ないですし。
そりゃあね、いつでもどこでも「自分に優しく自分の気持ちを最優先する」とか「自分がワクワクすることだけしたらいい」っていうと、それはそれでただの自己中だと思うんですね。
じゃあその線引きってどこでしたらいいの?っていうと…そこで【理性】が必要になってくる訳です!
つまり理性で判断するってことですね。
さて「その理性って良く聞くけど何なんすか?」って思いません?
分かるようで分からないような…って感じじゃないです?
ということで、次回は「『理性』ってつまりどういうことなのか?」ということをお話していこうと思います!
それではまた後ほど~(^^)/