こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は【スピ業界で話題の『二極化』って、なんだかSFっぽくて西洋思想な感じがあるよね。スピは割と東洋思想強いからちょっと違和感ある。】
というお話でした。
こういうお話が出ると、東洋思想と西洋思想の違いが気になった方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は、僕が感じた両者の印象を出来るだけ分かりやすくお話します。
ちなみに、語弊があるといけないのでちゃんとお話しておきますが「スピリチュアルは東洋思想が割と強い」ということであって
『東洋思想=スピリチュアル』『西洋思想≠スピリチュアル』ではありませんので、そこのところどうかよろしくです…
はい!では本題に戻ります!
結論からお話すると
『東洋思想=ジブリ作品、西洋思想=ディズニー作品』だと捉えるととても分かりやすいです。
まず東洋思想について
ジブリ映画の代表作『千と千尋の神隠し』を使ってご説明していきます。
物語は『これからの人生に不安と寂しさを抱えた女の子が、色々な人と関わりながら逞しく自立していく』作品です。
実はこの物語は倒すべき相手・悪役がいません。もうここが東洋っぽい!笑
「え、湯婆婆やカオナシが悪役じゃないの?」と思われるかもしれませんが
彼らをやっつけたら皆がハッピーになって千尋の不安や寂しさも無くなるかというと、どうもそういう感じではなさそうですよね。
湯婆婆は『職場の上司』で、カオナシは千尋の中にあった『不安・寂しさ』と解釈出来ます。
いや、もしかしたら『エゴ』『欲』『煩悩』と解釈した方が正確かもしれませんが、ここでは分かりやすく『不安や寂しさ』のままにしておきます。
序盤、外にいたカオナシを千尋が油屋に招くのは『不安や寂しさと向き合う準備が出来た』と解釈でき
その後、千尋が迫ってくるカオナシと対話するシーンは『不安や寂しさと向き合っている』と解釈出来ます。
追ってくるカオナシから逃げているのは「不安や寂しさが押し寄せてくるけど、もうそんな自分に戻らない!」という強い意志の表れであり
逃げ切ったあとにカオナシが大人しくなるのは、『冷静になって不安や寂しさを客観視出来た』と解釈出来ます。
その後、千尋はカオナシと行動を共にしているのは『不安や寂しさも自分の一部だと受け入れた』と解釈するんです。
そう、やっつけたのではなく受け入れたんです。
そして不安や寂しさをただただ隣に置いて静寂の中振り返っていきます。
カオナシが千尋から銭婆婆の元に行ったように、受け入れてもらった不安や寂しさはスッと離れていきます。
銭婆婆がカオナシを必要としたように、不安や寂しかった経験は誰かの役に立つんですね。
そしてハクとの過去が自分の中にあった事を思い出し、逞しく成長・自立した千尋。
最初は沢山の存在に囲まれていたけど、最後はひとりで両親の元に帰っていきます。
この『打ち勝つべき相手は自分』『ネガティブとポジティブの調和』『テーマは自己成長と自己受容』『周りの存在は内側を見る為のサポーター』『必要無くなったものは手放して身軽になっていく』のが東洋思想ですね!
いやー、ホントいい映画!
これは全くの余談ですが、この映画中の『あの日の川』という曲が個人的には大好きで、特にオーボエの音色は溜まらんですわ。笑
では、次回はディズニーを西洋思想の観点で解釈していきます♪
それではまた後ほど~(^^)/