こんにちはー、ヒーラーの大澤です。
前回は
【時には本当に大切にしたいものだけで生活してみると、グッと人生の満足度・生活の質が上がるかもしれません。】というお話でした。
こういう時に「これはいる!これはいらない!」とスパッと取捨選択出来れば良いのですが、僕自身はついつい先延ばしにいなってしまいます。
そうして、日々のやらなくちゃいけないことに追われ、イライラして「もういい大人なのに自立出来ていないなー」なんて思ったりして…^^;
さて、今回のテーマである自立・自律についてスピリチュアルではどのように謳っているのでしょうか。
詳しい方ならもう既にご存知かも知れませんが
『人生で起こる出来事は全て自己責任であり、霊的自立とは、他者への奉仕が自身の喜びとなることである』と謳っています。
この言葉、このまま受け取るとかなりキツいものがありますので、ゆるい感じかつザックリご説明していきたいと思います。
まず『人生で起こる出来事は全て自己責任』というところ、これは『自分で決められないような出来事も全て自分で決めてきた』と解釈します。
「私はあんな両親の元に生まれたくはなかった!」「本当はあの人と結婚したかった…」と思う方もいらっしゃるかも知れません。
しかし
その時魂自体は全く傷付いていませんし、むしろその親またはそのパートナーを通して様々な『経験』『感情』『気付き』を得られて輝いています。
これは決して「その出来事に感謝しなさい」「甘んじて受け入れなさい」と謳っているわけではありません。
現状が受け入れられないのであれば、適切な努力と適切な忍耐で現実を変えていくことをスピリチュアルは推奨しています。
そうすることによって
『悲しみを乗り越えていく心の変化』や『幸せを手に入れた時の達成感』など、また更なる経験や感動や気付きを得ることも出来るからです。
さらに自己責任とは「他人を頼るな」ということではありません。
「自分の人生は自分の力で切り開いていく」「自分の生活は自分で何とかする」という心持ちはスピリチュアル的にも素晴らしいものです。
しかし
僕を含め、多くの人は日々誰かの助けを借りなければ生きていけないのが実状です。
水・電気・ガスを管理し供給してくれる方がいるからこそ生活が出来るし、道路の舗装をしてくれる方がいるからこそ安全に歩けるというもの。
そんなところを加味すると、僕個人は『頼れるところはガッツリ頼って良い』と解釈しちゃいます。
そういう命に関わる大きな話じゃないにしても
自分がツラい時に助けてもらうことで困難を乗り切ったり、より得意な人にお願いすることで物事が円滑に進むことも往々にしてあるじゃないですか。
ただその時に「これくらいやってもらって当たり前!」と捉えるよりは「手伝ってくれてありがとう!」と感謝した方が建設的かなーとも思います。
そうして人に助けてもらう内に
『「今度は私が皆を幸せにしてあげたい♪」と思えるようになれば、それは本当の意味での自立・自律だよ』とスピリチュアルは謳っています。
他者の喜び=自身の喜びと考えられる人ばかりならどんなにハートフルな世の中でしょうね。
一歩一歩、無理なく自立していきたいと思います。
それではまた後ほど〜(^^)/